11:文字を引きずり廻せ。

2017424174251.jpg  「篆刻:久乃(12ミリ角)」
ずいぶん久しぶりの「篆刻の常識を見直す講座」だから「久乃」なのではないけれど。書道をされている娘さんへ、お母さんから落款印二顆(か・篆刻の数)セットのプレゼントのご依頼だった。作品に署名し、その下に白文の名前を、さらに朱文の雅号を押すことが、作品の完成=落款の作法。電話でお聞きすると、女子高生ながら応援団で、学ランを着て高下駄で通学しているという。大きな応援旗を持つ勇姿が地元の新聞にも載っている。書も豪快ですかと聞けば、確かに思い切りが良いという。篆刻のデザインは、それで決まった。「こころの芯棒として直線を活かすこと。直線以外は柔らかい、優しい曲線で、娘らしさを出すこと。」

「久」は人の後ろを棒状のもので支えて、いく久しくと願う文字。「人」の篆書体は人間の側面で、膝を少し曲げて、腕を前やや下に伸ばした形だが、第一画を斜めの直線にする。「乃」の篆書体は弓の弦をはずした象形で、弦のない弓状の曲線なのだが、あえて常用漢字のようにして、第一画の斜線を久のそれと平行にした。ここで当然、「ひとつの篆刻に篆書体と常用漢字が混ざるのは違反だ」という声があがるだろう。

いや、もうそんな下らない話は止めよう。我々は21世紀の日本に生きている。漢字、ひらがな、カタカナばかりか数字、アルファベットも使いながらコミュニケーションしている。そんな中で篆刻だけが篆書体を、それも甲骨文だけ、金文だけで構成せよをというのは時代錯誤、ナンセンスの極みではないか。「久」と「乃」という文字のすべての可能性を全部並べて、比較検討する。直観でも選んでも構わない。「乃」から生まれた「の」を選ぶ自由だってある。そうして選んだ文字の首根っこをつかんで、自分の方寸の世界に引きずり込む。そうして自分だけの何かを構築する。文字に振り回されてはいけない。主体である自分が文字を引きずり廻すのだ。そのためには、文字の生い立ちや本来の意味を熟知しなければならない。それをこの現代にどう生かしてあげようかと真剣に考えなければならない。そうすることでしか、自分らしい、自分だけの篆刻にならない、と私は思う。

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