人生は、後半。(篆刻:看後半截)

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横浜市立東台小学校で私の5、6年の担任は女性のE先生だった。下の学年から
団塊の世代で、子を私立に受験させようとする親も増えていた。その傾向を先生は
好ましく思っていなかったようで、反動でか公立しか考えていない私を何かと前に
押した。学芸会で劇を演出させ、卒業式で総代にしたり、子ども心にも強引に感じた。

大阪茶屋町で篆刻の初個展をした時は娘さんのいる堺に身を寄せていたので来て
くださったし、この家も訪ねてくれた。その後、住み慣れた鶴見・東寺尾の高齢者用
住宅で悠々自適に絵や文章を楽しまれた。東京の熊谷守一部美術館では会場が
3階で登る自信がないからと来られなかったのは仕方のないこと。平成22年の米寿
には絵と文章を子ども一同が作品集にしてくれた。それを読んではじめて、「女は物を
言うべからず、表に出るべからず」という主義のご主人にあらがいながら教師をして
いたことを知った。43年近く連れ添いながら、ガンで亡くなる直前に初めて「ごくろう
さん」と言われたのだが、あとがきには「いちばんありがとうを言いたい人は夫」とある。

理由は3人の子を授けてくれた人だから。今年の年賀状は細かな切り絵で、まだ
お元気とうれしかったが、21日に亡くなった。後半生を人並み以上に謳歌した93年
だった。篆刻は「後半截を看よ」、後半生によってE先生の一生は幸せだった。合掌

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