9:近藤正臣さんへの、新「正臣」。

2015116115725.jpg「正臣(20×20ミリ)」
油絵は気に入るまで何度でも塗り重ねられるそうだが、ほとんどの創作はどこかで踏ん切りをつけて作品として仕上げなければならない。篆刻のデザインをして彫らずに翌日見直せば、きっとどこかを直したくなるけれど、それを延々と続けてほとんど彫れない人もいる。莫山先生も、上手いの下手のと考える前に、とにかく数を彫れとおっしゃっていた。

もう15年以上前だが、大阪の茶屋町画廊で初の個展をしたら、東京の友人が下北沢のギャラリー「思無邪」を紹介してくれて、そのままの勢いで共同展めいたことをした。そこで俳優の近藤正臣さんが「正臣」を注文してくださった。広告の現役バリバリだったから、私の篆刻でいいのかなと思いながらも一所懸命に彫った。いま私は広告から篆刻に軸足を移したが、近藤さんも大河ドラマや朝ドラの常連といっていいほどの名脇役になられた。テレビで拝見するたびに、あの旧作「正臣」がクッキリと浮かんでくる。それが「あさが来た」で毎朝ともなれば恥ずかしいやら苦しいやら。いまの近藤さんにいまの私がどんな「正臣」を彫るのか、彫れるのか。彫らずにはいられなくなった。それがこれ。事務所を検索して、お便りを添えてお送りした。

早速マネージャーの方から丁重なメールをいただき、「近藤に伝えたところ、下北沢のことも覚えているが、NHKの正月スペシャルや大河ドラマの収録で忙しい。篆刻を見てもらうまで少し時間が欲しい」とのことだった。そして、昨日の午前中、東京からの電話に出てみると「近藤です。すてきな篆刻をありがとうございました」と、さっきテレビで聞いた声。為書きに書いた「正の字は、城郭に囲まれた街を攻めることだったのですか」、(そうです、攻め勝った方が正義。勝てば官軍ですね)、「昔の作は昔のこと、これは新しい感覚ですね。これからこれを使います」、「袋物が好きなので、この袋もすごくうれしい」と、私とカミサンの気持ちを真っ直ぐに受け止めてくださった。喉に刺さっていた大骨がスッと溶けて消えていった。

さて、久々の「篆刻の常識を見直す講座」が、とにかく数を彫れ、旧作が恥ずかしければ新作を彫れと、常識的なことばかりになったが、頼まれてもいないのに彫って送りつけるなど非常識の極み、というお話です。

ページ上部へ