全快を、祝う。(篆刻:快)

快 東京で、大学の広告研究会の同期会。向かいに座ったHがシャツをたくし上げて、 お腹を見せた。腹腔鏡手術の傷あとは、盲腸よりも少し大きい程度。医者も初めてという 8時間の手術で、ガン細胞で詰まった十二指腸はすべて、すい臓を半分など、全部で 4つを摘出した。それを出すための穴であって、腹腔鏡自体は小さな穴なのだという。 もう体にはガン細胞は見つからず、週3日会社に行っていると聞いて、皆が拍手した。 実は、この会に持っていき皆に見せたかったが、闘病中のHには冗談が過ぎると 置いていったのが、あみだクジ。この夏、幹事長だったMの葬式の後、皆で飲んだ。 まだ飲み足らない3人で、次の店に行った。で、酔えば大学時代の悪いノリになって、 次は誰だと、店のチラシの裏に同期の名をすべて書き出し、あみだクジをしたのだ。 向かいのHに、それを話したが、全快した彼には、それも笑い話。ああ、良かった。 あみだクジは、なぜ阿弥陀なのか。室町時代から、そのようなものはあったらしいが、 はじめは阿弥陀さまの後光のように線を放射状に引いた。いつか線は真っ直ぐになり、 阿弥陀の言葉だけが残ったとか。さて、家に帰って、改めてそのあみだクジを見たら、 Hはちゃんとセーフになっている。阿弥陀さまは、Hの奇跡の回復をお見通しだった。 篆刻は、「快」。前回と同じパターンのオチだが、前回は全快で、失礼。(何じゃ、それ)
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