是非を、答えず。(篆刻:無記)

無記 これは友人のAの話なのだけれど。彼が奥さんと娘さんの3人で、車で墓参りに 行ったときのこと。奥さんが助手席で、「向こうの天気は大丈夫かしらね?」と つぶやいた。Aは即座に「何言ってるの。さっき二人でテレビの天気予報見て、 晴れだったじゃないか」と答えたのだが。とたんに車内の空気が悪化した、という。 後で、娘がAに言ったそうだ。「ああいう時は、『うん、どうかなぁ・・・』でいいのよ」 これを聞いて、この篆刻の「無記(今度の三游会に出品予定)」を思い出した。 仏教語大辞典(石田瑞麿著・小学館)によれば、「善悪を決めることができないもの。 意味を分別した決定でないこと。無意味なこと。質問に対して是とも非とも答えない こと。例えば、釈迦が世界が常住か無常かとの質問に答えなかったこと」とある。 私なりの解釈をすれば・・・。世の中には、特に凡人の日常には、さらに言えば、 夫婦の会話などでは、杓子定規に答えを出さなくても良いことの方が多いのだ。 感覚と理屈が雑多に混在する人間がふたりいて、ひと言ひとこと是だ非だと 言ったところで、かみ合うはずがないし、食い違って気を悪くする方が多いのだ。 かくして、この「無記」こそ、夫婦円満の知恵の言葉なのだが。この無記も細心に やらないと、単なる「無視」と受け取られかねないから、おのおの方、ご用心を。
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