これも、また風流。(篆刻:風流)

風流 家の裏の白梅をデジカメで撮った後、手からカメラがもんどりを打って落ちた。 前なら地べたと雑草だった場所なのに、犬走りと同時にモルタルになったので、 液晶画面がモンドリアンの絵になってしまった。(シャレ、通じたかな?) Jという家電量販店の5年間保証があったので、修理に出したのだが。 約2週間後、引き取りに行って見た報告書には「電池劣化、交換を」とある。 店には無く「取り寄せ」だという。「ここまで往復1時間かかる、修理できたという 電話の時に言ってくれれば」と文句を言ったら、「では送ります」という返事。 それから約1週間。やっと電池が届いたのだが、品番の違う電池で使えない。 また、約1週間後。「今度は直接お持ちします」という電話で、店員が来た。 あきれてモノが言えない、とはこういうことだが。禅僧で作家の玄侑宗久さんは、 「これもまた風流」とおっしゃる。たとえ嫌なことが起こっても、全体が成長に 向かっていれば「風流ならざるところも風流」なのだと。だから、無駄でも 回り道でもないのだ、と。そんなことを思い出しながら彫った篆刻「風流」。 風のように、水のように、はたまた世の移ろいのように、なったか、どうか。 Jという家電量販店の行く末がどうなったとしても、これもまた風流なのですよ。
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