志村喬の、眼。(篆刻:眼)

眼 黒沢明の映画では、水が重要な役をする。『羅生門』では雨、『七人の侍』では 農村を囲む掘割。『生きる』では、集落のそばの泥水に苦しむ住民たちが、 市民課へ陳情する。その課長を演じたのが志村喬だった。(係長は藤原釜足)  ミイラとあだ名されるほど無気力だったが、ガンで余命少ないのを知って、 一念発起。波風を嫌う関連部署を根負けさせて、どぶを埋めて公園にするが、 その公園のブランコで「命短し、恋せよ乙女」と、低く歌いながら死んでしまう。 『羅生門』では、誰の言葉が虚か実か混沌のなかで、彼も貧しさゆえに嘘を つくが、捨て子を抱えて去る姿で人間の善を体現した。そして『七人の侍』では、 豪胆沈着なリーダー勘兵衛役。腰の据わりが尋常ではないと思ったが、 学生時代にボートと柔道で鍛えたそうで、歌も歌手になれと勧められたほど。 私の手元には『生きる』と『羅生門』のDVDがある。それを見て、気づいた。 志村喬は、演技のなかでまばたきをしていない。相手を射るように見つめる ばかりでなく、伏目がちな演技も多い。それでも眼は見開いたままなのだ。 篆刻は、篆刻般若心経から「眼」。艮(こん)は、眼の呪的な力で悪霊を 退けること。昨今、眼で芝居できる役者がいるか。思い浮かばないのが寂しい。
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