鈍くても、きっと。(篆刻:鈍)

鈍 昨夜、風呂上りに寝酒を飲みながらNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を 何気なく見ていたら、その水戸岡という名に覚えがあった。確か80年代、イラスト レーション年鑑の常連で、華麗な建築パースを描いていた人ではないのか。しかし、 いまの彼は九州新幹線を造った工業デザイナー。時々映る車内の完成予想図は、 まぎれもなくあの特長あるイラストだった。イラストレーターから工業デザイナーに? 建築不動産の広告をやる知人に聞くと、以前イラストを頼んだこともある彼も、その 変身ぶりには驚いているという。がWikipediaによれば、それはこっちの誤解だった。 彼は元々工業デザイナーで、イラストレーションは身過ぎの業だったのだ。それでも 卓越した技量で、グラフィック社から数冊の本も出している。1988年福岡市の「ホテル 海の中道」のアートディレクションを機に、JR九州の列車などのデザインに関わった。 「プロフェッショナル」は、九州新幹線の全線開通に合わせて3月放送予定だったが、 東日本大震災で延期され、彼が参加予定のイベントもすべてが中止になったという。 彼の子供の頃のあだ名は鋭冶ではなく「鈍冶」。ドーンデザイン研究所の名前も「鈍」 からではないか。「いつかはきっと」とつぶやきながら、ひたすら親子シートのデザインを 描き続ける。「いつかはきっと」という言葉は、震災からちょうど1ヵ月の夜、心に沁みた。
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