落ち葉で、焼き芋。(図:円)

2016728173851.gif この12月5日に中村勘三郎が亡くなった。その後、追悼の番組や記事が続いて いる。今朝の日経新聞には野田秀樹の追悼文があり、野田が書いて勘三郎が演じた 歌舞伎「研辰(とぎたつ)の討たれ」のこんなセリフがあった。「生きて生きて、まあどう 生きたかはともかくも、それでも生きた緑の葉っぱが、枯れて真っ赤な紅葉に変わり、 あの樹の上から、このどうということのない地面までの、そのわずかな旅路を、いさぎ よくもなく散っていく、まだまだ生きてえ、死にたくねえ、生きてえ、生きてえ、散りたく ねえ、と思って散った紅葉の方がどれだけ多くござんしょ」。まさに勘三郎の無念だ。 まあ勘三郎とは何の関係もないのだが、5日は長男・遊の13回目の命日だった。 カミサンと墓参りに行ったら、缶コーヒーが2本、セブンスターが1箱置いてあった。 バイク仲間か同級生なのか、毎年のことだから、本当にありがたいことだ。でも遊は こんなことをしてもらうほどの人間だったのだろうか。この黒い丸は私が書いて墓石に 彫ってもらったもの。丸がつながりそうで、微妙に離れている。30年に満たなかったし、 バイクレースの事故ではあったけれど、好きなバイクに熱中し、多くの友に恵まれた 遊の人生が、それなりに大団円だったと思いたい。そんな親心が書かせた丸なのだ。 昨日は月参りに来た11歳と3歳、二人の孫と紅葉の落ち葉を集めて焼き芋をした。
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