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この12月5日に中村勘三郎が亡くなった。その後、追悼の番組や記事が続いて
いる。今朝の日経新聞には野田秀樹の追悼文があり、野田が書いて勘三郎が演じた
歌舞伎「研辰(とぎたつ)の討たれ」のこんなセリフがあった。「生きて生きて、まあどう
生きたかはともかくも、それでも生きた緑の葉っぱが、枯れて真っ赤な紅葉に変わり、
あの樹の上から、このどうということのない地面までの、そのわずかな旅路を、いさぎ
よくもなく散っていく、まだまだ生きてえ、死にたくねえ、生きてえ、生きてえ、散りたく
ねえ、と思って散った紅葉の方がどれだけ多くござんしょ」。まさに勘三郎の無念だ。
まあ勘三郎とは何の関係もないのだが、5日は長男・遊の13回目の命日だった。
カミサンと墓参りに行ったら、缶コーヒーが2本、セブンスターが1箱置いてあった。
バイク仲間か同級生なのか、毎年のことだから、本当にありがたいことだ。でも遊は
こんなことをしてもらうほどの人間だったのだろうか。この黒い丸は私が書いて墓石に
彫ってもらったもの。丸がつながりそうで、微妙に離れている。30年に満たなかったし、
バイクレースの事故ではあったけれど、好きなバイクに熱中し、多くの友に恵まれた
遊の人生が、それなりに大団円だったと思いたい。そんな親心が書かせた丸なのだ。
昨日は月参りに来た11歳と3歳、二人の孫と紅葉の落ち葉を集めて焼き芋をした。