子どもが、いない。(篆刻:子)

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ルーマニアのゲオルギウという革命家は「もし世界の終りが明日だとしても、私は
今日、林檎の種をまくだろう。」と言ったそうだ。林檎は希望を意味する。中国の
『管子』には「一年の計は穀物を樹えよ、十年の計は木を樹えよ、終身の計は人を
樹えよ」の言葉がある。百年の計は人を育てることだが、さて狭川に子どもはいるか。

狭川地区の秋の運動会になると、「エッ、こんなに子どもがいたっけ!?」と驚くが、
狭川に住んでいない孫たちが親の実家にやって来たからで、実際狭川に住んでいる
小学生は10人前後ではないか。この西狭川町26戸では、たったひとりだ。狭川の
公民館横にあった幼稚園はずいぶん前に隣の大柳生に統合され建物だけになった
ままだ。店は、酒・タバコ・菓子などを売るよろず屋が一軒だけ。郵便局、農協は
隣の須川にあって、この地区で職場といえるのは土建業と鉄工所だけだから、若い
家族のほとんどが奈良市内や奈良に隣接する京都府に出てしまう。私の息子だって
奈良市の隣の郡山から大阪・茨木まで車で通っていたのだが、時間も高速代も
大変で、いよいよ辛抱も限界と大阪に越して行った。息子家族は、狭川もこの家も
好きだったから、離れを改造して住みたかったらしいのだが、それも叶わなかった。

篆刻は、正しい篆書体の「子」だけれど、なんだかお手上げに見えるのが、悲しい。

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