剣道を、教える。(篆刻:剣)

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なぜ奈良市の東部山間で土地や空き家を探したか。そこには柳生があるからだ。
30歳を過ぎて剣道を始めた。理由は袴をはきたいからで、会社の剣道部に入った
次の日には竹刀と袴、道着を買った。何だって形から入るのですよ、私の場合は。

だから柳生の隣の狭川に家が見つかったのは、本当にラッキーだった。四段を
目指していた頃、この家を譲ってくれた方が狭川の自治連合会長で、「狭川少年
剣道クラブの先生が高齢なので辞めたいとおっしゃる。継いでくれないか」という
話があった。代々の先生は人格者揃い。村の古老からは「狭川は昔から剣道が
盛んで、自分も県の大会で入賞した」と聞いていたし。自分ごときにはと固辞したが、
息子ふたりもお世話になったクラブだし、他に現役の方がいないならと引受けた。

会員は小学生の男女で、この狭川だけでなく、隣の東里の子も入れて10人ほど。
打てば響く運動神経のよい子もいれば、稽古になるとお腹が痛くなる子もいるが、
道場に入る時の礼はもちろん、その前に脱いだ靴の揃え方など、最低限の礼儀
作法だけは教えることにした。ところが数年前、「春には3人しか残らない、剣道の
希望者の有無以前に小学生自体がもう増えない」という事態に。父兄と相談のうえ、
ついに長い歴史の剣道クラブを終えることに。少子化には剣だって刃が立たない。

 

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