篆刻(印と印章について)

前回の「篆刻とは」の整理で、一般的には【篆刻】はほぼ【印、印章】とされていることが判りましたが、篆刻によって生まれる印には、使用される目的があって、それによって印の呼び方が変わってきます。
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画像は、阿部玲雅さんという書道をされる方のために楽篆堂が彫らせていただいたものですが、それぞれに使用目的と名前があります。その呼び方はあくまでも便宜的なものですが、篆刻、印の種類、カテゴリーとして成立しているものがいくつかありますので、それを整理しておきましょう。

《篆刻(印、印章)の使用目的と種類》…目次
①【落款(らっかん)】
②【落款印】
③【姓名印】
④【雅号(別号)印】
⑤【雅号】
⑥【別号】
⑦【別号印】
⑧【引首印】
⑨【関防】
⑩【遊印】
⑪【恒操印】
⑫【公印】
⑬【私印】
⑭【官印】
⑮【雅印】

①【落款(らっかん)】とは「(落成の款識(かんし)の意)書画に筆者が自筆で署名し、または印をおすこと。また、その署名や印(注:この場合は印影を指すと考えられる)。」と広辞苑(第七版)にあります。

水野恵氏によれば、『「落款」とは「落成の款識」という意味で、「落成」とは工事の出来上がり。この工事とは土木建築に限らず、技術が未発達な時代の金属器を作ることも工事であって、小さな器を作り上げた時も「落成」と言ってよい。また「款識」とは金属器に彫りつける文字のことで、文字を凹に彫った陰文を「款」と呼び、文字を凸状にした陽文を「識」と言う。そこで「落成の款識」というのは「物が出来上がったときに記された文字」になり、さらに「物を仕上げた時に作者を示す証しとして記したもの」になり、そのような習慣が書画に多いことから、書画の作者の署名、または捺印、または署名捺印の専門語のようになった。しかし、陶磁器や彫刻、漆器、染色などに作者の名を記しても「落款」でよく、「作者が自らの責任の所在を明らかにするため作品に明記するもの」を落款としてよい。それはハンコでなければならない訳でもない。』(3)とあります。

つまり「落款」とは作品の作者が責任の所在を明らかにするための署名や捺印のことで、篆刻された印(印顆)それ自体を落款と呼ぶ人がいますが、これはまったくの誤りです。

②【落款印】
広辞苑には「落款印」という言葉はないのですが、書画などの作品の作者としての落款という行為の為に使用することが明らかな印は、楽篆堂は便宜上「落款のための印」=「落款印」と呼んでいます。

「落款として押す印(落款印)」については、作者の責任を明らかにするために押すので、最低でも「姓名印」や「雅号(別号)印」のどちらか、より丁寧にするなら「姓名印」と「別号印」を上下セットで押します。

③【姓名印】印に彫る文字は「姓名」「姓のみ」「名のみ」などがあり、好みで決めることができます。その字数によって「印」「之印」などを加えてバランスをとることもあります。朱白については、対で押される「雅号(別号)印」は朱文が基本なので、「姓名印」は白文が一般的です。

もちろん、姓名印が単独で押される場合は朱文もあり得ます。
※画像の真ん中の「阿部」が、姓の2文字を彫った「姓名印」です。

④【雅号(別号)印】
「雅号印」「別号印」ともに広辞苑にはないけれども、水野恵氏は印文に雅号を刻すものは「雅号印」としています。楽篆堂も「雅号印」というカテゴリーを設けています。「別号印」も同じです。

⑤【雅号】
広辞苑では「文人・学者・画家などが、本名以外につける風雅な別名。号。」とあります。観峰流という書道の「観峰文化センター」によれば、「雅号とは、書画に用いる雅趣に富んだ名前で、本名より作品に調和して品位を高めるとともに、作者の精進努力の気運をわきたたせる」としています。

⑥【別号】とは。
広辞苑では「別につけた名号。ほかの呼び名。」

⑦【別号印】は広辞苑にありませんが、ほとんどの篆刻関連書にあります。一般的には「雅号印」が多く使われ、専門書では「別号印」がより多く使われているようです。
「別号」のあとに・山人 ・閑人 ・散人 ・道人 ・学人 ・居士 ・雅人 ・外史 ・老人 ・翁 ・女史などの別号に関係ある文字をつけることがありますが、最近ではとても少ない例と言っていいでしょう。
※画像の右の「玲雅」が、阿部さんの雅号なので「雅号印(別号印)」です。

落款に使われる印は署名の近くに押す「姓名印」「雅号(別号)印」が基本ですが、もうひとつ「関防(引首)印」を加えることがあり、さらに右下、左下に「押脚印」まで加えることもあります。「関防(引首)印」を広辞苑で調べてみましょう。

⑧【引首印】書画幅の右肩に押す印で、多くは長方形のもの。関防。
⑨【関防】①中国で関所のこと。②書画の右肩に押す印。関防印。
水野恵氏によれば、『「関防」は本来割印のことで、文章に印章をまるまる捺すよりも、元帳にかけて割印にした方が照合が容易なので生まれたが、やがて割印でなくても「関防」というようになった。関防を「冠帽」と誤ったうえに、印をつけて「冠帽印」ということがある。四角い印章を割印にすると長方形になる。日本では書画の右肩に長方形のハンコを捺す事が流行ったので、割印形ということで「関防」と気取って言ううちに、上の方に捺すから「カンボウ=冠帽」だろうと誤ったと思う。』と記しています。

引首印(関防印)の形は長方形が一般的ですが、楕円もあり、円形、瓢箪型などもあり、朱文も白文もあります。では、そこに何を彫るのでしょうか。
榊莫山氏は『ここから美の世界がはじまるという合図のようなものだから、詩や句の一節とか感懐的な言葉を彫るのが普通である。』としています。
※画像の左が「芽生」で、阿部さんのお好きな言葉を彫った「関防(引首)印」で、高さ20ミリの落款印3顆セットになります。

この「引首印(関防印)」は自分の名や号ではなく、愛好する詩句・成語などを彫った印なので、「遊印」ということもできます。広辞苑で調べてみましょう。

⑩【遊印】(遊戯の印の意)自分の名や号ではなく、愛好する詩句・成語などを彫った印。文人の落款などに用いる。
水野恵氏は、『「遊印」とは。「誰かの名前や肩書に関係のない印文の印章」で、この場合の名前は個人に限るわけではなく、法人名も含まれ、要するに「譲渡によって元の人以外の不特定の誰かの印章となりうる」印文の印章を「遊印」という。』と規定しています。

⑪【恒操印】遊印に対して特定の人(法人でも)の印章としかなりえないものについては、水野恵氏は『恒操印」という言葉を提案しています。例えば「〇〇国王之印」は誰か唯一人の国王の印ではなく、国王が交代しても新たな国王の印となり、また譲渡によって国王以外の人の印章になることもないので「恒操印」と呼ぶ。印文が姓名であれば、みな「恒操印」である。』としています。

続けて水野氏は『「恒操印」のなかで「〇〇国王之印」とか「□□課長」のように、印文が公人資格を示すものは「公印」といい、それ以外を「私印」という。』と分類しています。

念のため、広辞苑で確認してみましょう。
⑫【公印】おおやけの印。官庁公署の印。
⑬【私印】各個人または家の印章。←→官印・公印。
⑭【官印】①官庁または官吏が職務上に使用する印。公印。←→私印。

以上、【篆刻】はほぼ【印、印章】としたうえで、印の主な種類を整理しましたが、篆刻、印に関する書物やネットの記事のなかに【雅印】という言葉がかなりの数、見受けられますので、ここで検討しておきます。

⑮【雅印】は広辞苑にはありません。
榊莫山氏はこの雅印について『世に「雅印」と称する言葉が使われているが、風雅な印とか風流な人の印といった漠然とした意味で使われることが多い。字典にもあまり出てこない言葉だが、よく使われる。』(1991年)と記していますが、現在はどうも「篆刻」イコール「雅印」と呼ばれることが多いのではないかと観察されます。

書や絵に作者として押す大げさな落款印ではないけれど、手紙やハガキ、一筆箋などに、例えば名字や名前のひと文字でも印にして押す場合に、その印を何と呼んだら良いのか。誰しもが考えることでしょうし、いつしかそれが「雅印」と呼ばれるようになったことは、ごく自然なことだと思います。
かえって「雅印」という呼び方には、篆刻や印に対する愛情のようなものさえ感じます。

そこで、楽篆堂は「篆刻」イコール「雅印」とする実勢に合わせて、篆刻のカテゴリーにあえて「雅印」を加えています。

◎講演の記録「篆刻とは…楽篆堂の場合」も合わせてご覧ください。

参考資料:
(1) 榊莫山『印章教室』創元社、1991年、ISBN 4-422-73007-X
(2) 榊莫山『書の講座⑥文字を彫る』角川書店、1983年、0371-650606-946(0)
(3) 水野恵『印章篆刻のしおり』芸艸堂、1994年、ISBN 4-7538-0161-6
(4) 水野恵『日本篆刻物語・はんこの文化史』芸艸堂、2002年、ISBN 4-7538-0192-6
(5) 梅舒適・監修、金田石城・編著『篆刻のすすめ』日貿出版社、1979年 第4刷
(6) 梅舒適ほか 『篆刻百科』芸術新聞社、1994年、T1005466102601
(7) 中村淳・監修『篆刻入門』日本習字普及協会、1976年

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