篆刻の「篆」とは。

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これまで「篆刻とは」、「篆刻(印と印章について)」と2回に分けて、篆刻とはなにかを分かりやすくまとめてみたのですが、今回はもっとも基本的な、楽篆堂の号にもある「篆とは」の解説をしてみます。

まず、一般的な解釈として『漢和辞典』旺文社を見てみます。
〇書体の名。周の太史籀(チュウ)の作った大篆と、秦の李斯(リシ)の作った小篆とがある。「篆文」〇印章。(篆体の文字が多く使われる)〇銘文。金石にきざんだ文。(銘文には篆書を多く用いる)
残念ながら、これでは「篆」という特別な文字の意味がまったく見えてきません。他の資料を探ることにします。

①【篆】とは…白川静『字統』から
【篆】テン=書体の名として「声符は彖(たん)。彖にまるいものの意がある。〔説文〕にある「引書なり」とは、筆を引いて同じ太さで書く書法のことで、いわゆる篆文であろう。
甲骨文は契刻してしるすもので、その刻画は尖鋭なものであるが、金文の字には肥瘠破磔があって、筆意がよく示される。しかし後期の金文に至っては肥瘠を加えず、かつ結体も均斉なものとなる。この後期金文や〔石鼓文〕の書体が大篆といわれるものであり、それを整理して標準化したものが、小篆であると考えてよい。
印刻の字には多くその体を用いるので篆刻といい、また碑文などの題額にもその体を用いて篆額という。小篆の字形の直線化したものが隷、あわせて篆隷という。楷以前の字体である。
篆は筆を離さず屈曲纏繞(てんじょう)するものであるから、装飾的な字様となることがあり、呉越の地では春秋末ごろ特に鳥篆が行われた。満城漢墓の鳥篆文銅壺はその風を模したものであるが、殆ど文字としての機能を失っている。香煙のゆるく舞いのぼるさまを、篆煙という。」としています。

②【篆】とは…水野恵『印章篆刻のしおり』から
「印材に印文や枠等を彫りつける事を「篆刻」と言います。」としたうえで、「「篆」の字源的な意味は現在明らかではありませんが、「縁」や「椽(テン、たるき)」といった同類の言葉を集めて、それらの最大公約数的なものによる類推は可能です。そうして「彖」の仲間を集めてみると「細長い物をずっと先の方へ辿って行く」という最大公約数が見つかります。
糸を辿り(縁)、木を辿り(椽)、手を辿り(掾、エン、ふち・へり)、ということになると、竹を辿るのが「篆」のようです。ところが「縁」は糸そのものではなく布か衣服のへりを表し、「椽」は樹木でなく棰(たるき)を表し、「掾」は手そのものでなく袖口を表しますので、「篆」も生えている竹や竿ではなく、細長くて、先へ辿って行くべき竹の加工品であると考えるか、そういう加工品を先の方へ辿って行く事、と考えるのが妥当でしょう。
そこで古い竹の加工品で細長い物を思うと、竹簡が浮かびます。竹簡とは、紙が発明されるまで、今の料紙と同じ用途の具として文字を書き記すために、竹の薄板を細長く加工した物です。けれども竹簡は簡であって「篆」と言われた例は発見されていないようです。すると「篆」とは、竹簡を先の方に辿って行く事だと考えてよさそうです。竹簡を辿ると言えば、これはもう竹簡に字を書く→字を書く、以外の事ではありえません。
この解釈は一つの類推ですが、篆書という語の誕生もこの類推からなら説明がつきますし、たまたまこの仮定は最古の漢字字典である説文解字の解釈と一致します。説文解字には「篆とは印書なり」という意味の説明があります。「篆」が「文章を書く」ならば「篆刻」は「文章を書いて彫る」意となります。そして印章の場合の「引書」は印文ですから、篆刻の定義は前述のとおりとなります。」としています。

白川、水野両氏の説を総合すると「篆とは、まだ紙のない時代、竹簡に「引書」という書法で筆を引きながら同じ太さで文字(篆文)を書くこと」になります。

③【篆】とは…『大漢語林』から
また、『大漢語林』では、「【篆】①漢字の書体の名。周の宣王の太史の籀(チュウ)の作といわれる大篆(籀文チュウブンともいう)と、秦の李斯リシの作いわれる小篆とがある。多く印章に用いられる。⇒篆書。「篆書」、「篆文」②はんこ。印章。篆書を用いることが多いのでいう。」とし、その解字には「竹+彖。音符の彖(テン)は、轉に通じ、めぐらすの意味。筆を回転させるようにして書く書体の意味を表す。」とあります。

白川、水野両氏の説にこれを加味すると「篆とは、まだ紙の無い時代に、竹簡に筆を引いたり回転させたりしながらも、同じ太さで文字(篆文)を書くこと」となり、書の方法としての「篆」のイメージがより具体的になります。

④【篆】と筆の関係
では、書の方法としての「篆」を可能にした筆とは、どんなものだったのでしょうか。
曽紹杰(けつ)の『書道技法講座<篆書> 泰山・瑯邪台刻石』には、「古代の篆書というのも古人の日常の字であり、時代が移るとともに変わって違ってきたにすぎない。昔の最初の筆は竹に毛を束ねただけのもので、これで線を引いたから、篆書はどこも太さが均一で、転折のところも角ばっていないのである。後世の人の楷行草は太いところと細いところがあるので美しく見えるが、もし筆に芯がなければ様にならないであろう。今の人がこの芯のある筆を使って篆書を書こうとすれば、困難は古人よりはるかに多い。」とし、さらに「(篆書の)初学の者でうまく筆を使えない場合は、灯火で穂先を少し焼くと書きやすくなる」というアドバイスまでしています。
また「後世の毛筆は次第に精巧に作られるようになって、(中略)この種の先が尖った筆は楷行草を書くのには大変便利だが、篆書を書くにはむしろ不都合になる。」「秦篆のような穂先の出ない起筆を書くには逆入平出という蔵鋒による方法を用いなければならない。」と《蔵鋒法》を解説し、また「古い筆を溜めておいて、穂先の尖っていない筆に育てる」《旧筆平起法》を併記しています。

古代の篆書は、筆がまだ未発達で粗末な作りだったがために生まれた文字の形、文字のスタイルであったと言ってよいでしょう。

参考資料:
(1) 白川静『字統』平凡社、1994年
(2) 水野恵『印章篆刻のしおり』芸艸堂、1994年
(3) 鎌田正・米山寅太郎『大漢語林』大修館書店、1992年
(4) 曽紹杰(けつ)『書道技法講座<篆書> 泰山・瑯邪台刻石』二玄社、1987年

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