篆刻とは「木・石・金などに印を彫ること。その文字に多く篆書を用いるから。」としましたが、その印に彫る文字=篆書とはなんでしょうか。
前回は、篆書の「篆」について説明しましたが、今回は「篆書」、また「篆書体」について解説します。
「篆書(体)」とはなにかの概説ですので、手元の資料の中で簡便で分かりやすいと思われる『淡交ムック 篆刻入門』を主に引用します。
《篆刻(篆刻に使う篆書、篆書体とは)》…目次
1:【原初の文字(らしきもの)】
2:【甲骨文】
3:【金文】
4:【甲骨文と金文】
5:【周から戦国時代の篆書】
6:【大篆】
7:【小篆】
8:【隷書】
9:【印篆】
10:【説文解字】
11:【篆書百体】
12:【篆書(体)とは】
1:【原初の文字(らしきもの)】
漢字が生まれた中国では、文字を思わせる原初的なものは4000年ほど前から存在していたといわれ、また戦後陜西省の半パ(土+皮)遺跡から6000年前の石器時代の陶片が発掘され、そこに文字様のものがあったとの報告があったけれど、文字か単なる目印なのか判然としないものでした(※1)
2:【甲骨文(こうこつぶん)】
文字が意味を表し、かつ数文字程度で文章化されていることで文字といえる最古の例が、殷の時代に現れる甲骨文で、3200年ほど前のものが知られています。
これは吉凶の卜占に用いた文字で、亀の甲羅や鹿の角、牛の肩甲骨などに鋭い刃物で文字を切りつけています。短文ですが、天の啓示を占う特殊なものですから、文章的にはかなり完成され、字形はまだ象形文字に近く、素朴な力強さがあって、造形的に大変面白いものです。(※1)
3:【金文(きんぶん)】
この甲骨文に相前後して登場するのが青銅器類に刻された文字で、金属器の文字ということから金文と呼ばれます。殷を代表する文化といえば青銅器の発明で、国家の重器・祭器ですから庶民が利用できるものではなく、そこに彫られた銘文も、民族の統率者をたたえ、あるいは先祖を祠る士族標章の類の文字がつづられています。(※1)
4:【甲骨文と金文】
殷の時代に初めて文字としての篆書(甲骨文と金文)が姿を現しますが、書体としてはまだ定まっていない不定型な時代で、同じ文字でもさまざまな表現が見られ、それだけに生き生きとした躍動感があります。また、甲骨と青銅器というように、素材と用途を異にしていたので、当然異なった表現が見られますが、一般的にいえば、下書きをして鋳るとか彫るとかして権威を象徴する銘文を加えた金文の方が重厚な表現になっています。(※1)
5:【周から戦国時代の篆書】
殷に続く周は、西周が殷の技術者を保護し、高度な技術と文明を持った殷の正統な文化や文字を継承して、特に青銅器の造形や装飾と相まって、荘重な金文の篆書を完成させます。ところが時代が下がって、東周になると、春秋から戦国時代にかけて、諸侯が乱立して治乱興亡を繰り返し、文字も地域的な分化、用途別の変化をみせて、それぞれの文化が花開き、装飾性豊かな篆書も現れるので、乱れとばかりは言えない状況でした。(※1)
6:【大篆(だいてん)】
唐初の頃、陜西省の田野から発見された太鼓様の石10個に四字句で韻を踏んだ文字が彫られていました。現存最古の石に彫った文字といわれる貴重なもので、先秦の時代に彫られたものです。その文字がいわゆる殷・周の流れを伝える篆体で、大篆あるいは籀文(ちゅうぶん)といわれる書体の代表作です。(※1)
大篆は、古代の甲骨文や金文から発展し、秦代に成立する小篆の前段階に位置する書体で、今から2500年以上前の中国・春秋戦国時代に用いられた文字です。ひとくちに大篆といっても範囲は非常に広いのですが、漢字の原初の姿をとどめていて力強く重厚でありながら、うるわしい調和がはかられていて、漢字本来の堂々とした風格が雄渾な構成に秘められ、そのため昔から多くの書家、篆刻家が大篆を愛好し、研究に励んできました。(※2)
7:【小篆(しょうてん)】
これに続くのが、全国制覇をなしとげた秦の始皇帝で、印刷をはじめとする諸制度の制定はもとより、貨幣や度量衡の統一、そして文字の統一を行います。この時に統一された文字が、いわゆる大篆に対する小篆(秦篆)で、篆書の究極の美といわれます。
大篆が荘重な感じを強調するあまり、より複雑な傾向を示したのに対して、大篆の名残りは残しつつ、通行しやすい篆書の書体を目指したのが小篆です。
古い時代には横に幅広い字形を示した篆書の書体を、小篆では縦三対横二という縦長の黄金律に近い比率に改めます。篆書のもつ宿命や特色といえる権威を象徴する記念碑的な効果を一層高めています。
そうした美しい小篆の例として喧伝されるのが「泰山刻石」であり「瑯邪台(ろうやだい)刻石」です。秦が天下を統一して三年目、始皇帝は諸国を巡遊し、同年以降都合七石を建て、文字を刻して、秦の徳を称えたもので、その後、失われ残ったのがこの二石です。(※1)
8:【隷書(れいしょ)】
漢の時代になると、肉筆の木・竹簡などを除くと「泰山刻石」のような堂々たる篆書の遺品は残っていません。それは、この時代には篆書が終わり、隷書の時代に移っていくからです。(※1)
9:【印篆】
ただ官・私印といった印章には伝統的な篆書が用いられて、典雅荘重な、いわゆる印篆という篆書体が行われてゆきます。印篆は先の小篆が縦長であったのに対して四角な字形を形づくります。方寸の世界にきちっと収まる字形です。印章に用いる篆書=印篆と呼ばれたように、印章専用の篆書体として、以後脈々と伝えられます。(※1)
10:【説文解字(せつもんかいじ)】
こうして殷代の甲骨文・金文に始まる篆書体の流れはその後、戦国時代の乱世を経て、大篆→小篆→印篆とそのスタイルを改めながら、印章という小さな世界に閉じ込められ、歴史の表舞台から消えてゆきます。後漢になると、すでに篆書が読めなくなる時代を反映し、それに危機感を覚えた許慎(きょしん)が『説文解字』(西暦100年)を著します。当時の篆書9353字を文字の源義を解明しています。(※1)
12:【篆書百体】
『篆書百体千字文』は130種類の篆書で千字文を構成しているが、編集部によるはしがきでは、「一般に篆書は周の宣王の時代に史籀によってそれ以前の古文の用筆を改めて作られた籀文(=大篆)と秦の始皇帝の時代に書体の統一をはかって制定された小篆の二種に分けられるようである。しかし実際には、ひと言に篆書といっても象形文字に近い物から隷書の体が現れてきているものまで、誠に多種多様であり、名称上ではっきりと二種類に分類規定することは難しい。つまり篆書には、隷書以前のあらゆる書体が含まれるといっても過言ではない。」「篆書の中には実用を主とする通行書体とは別に、装飾的な意味での書体が多い。例えば幡信用に使われた虫篆、割符用の刻符篆、印章用の摹印篆など特殊な目的のみに使われた応用的な装飾文字といえる。」としています。
以下、目次に従って列記します。
太極(たいきょく)、河図(かと)、八卦文(はっけぶん)、洛書(らくしょ)、九疇(きゅうちゅう)文、蝌蚪(かと)文、穂(すい)書、龍書、鵬尾(ほうび)篆、垂雲(すいうん)篆、亀書、古文、鳥跡(ちょうせき)文、籀(ちゅう)文、鐘鼎(しょうてい)文、鸞鳳(らんぽう)書、商鍾(しょうしょう)文、菼(たん)らん(草冠+乱)文、墳(←王偏、ふん)書、説文、上方(じょうほう)大篆、麟(りん)書、虹霓(こうげい)篆、根梗(こんこう)篆、小篆、転宿(てんしゅく)篆、方直(ほうちょく)篆、倒薤(とうかい)篆、芝英(しえい)篆、衡持(こうじ)篆、刻符(こくふ)篆、彫虫(ちょうちゅう)篆、大風(だいふう)章、金釧(きんくん)書、方填(ほうてん)書、石鼓文、薇垂(びすい)篆、垂露(すいろ)篆、水紋篆、天禄文、童首(どうしゅ)篆、荻(てき)篆、覆戴(ふくたい)文、剪刀(せんとう)文、鳥篆、奇字(きじ)篆、孔方(こうほう)文、楷字、菰華(こか)篆、中正篆、華薜(かへい)篆、貂尾(てんび)篆、懸鍼(けんしん)篆、大篆、規矩(きく)文、佐書、瓔珞(ようらく)文、鼠尾(そび)文、上方小篆、華芒(かぼう)篆、魚書、填(てん)篆、虎爪(こそう)篆、華草(かそう)書、宝帯(ほうたい)篆、蝮(ふく)書、杉枝(さんし)字、雁(がん)字、古尚書、古銭文、い(水+遺)字、鳳尾(ほうび)書、方勝(ほうしょう)文、金縢(きんとう)篆、碧落(へきらく)篆、鶴書、殳(しゅ)篆、鵠頭(こくとう)書、太極篆、堰波(えんは)篆、漠草(ばくそう)篆、蚊脚(ぶんきゃく)篆、禹碑(うひ)文、剛錯(ごうさく)文、鼎(てい)小篆、南山文、秦璽(しんじ)文、王宵(おうしょう)文、托蓮(たくれん)文、ぐう絲(し)文、三台篆、精慍(糸偏)(せいおん)文、竹書、梅花篆、垂露文、斜畳(しゃじょう)篆、龍爪(りゅうそう)篆、八宝(はっぽう)文、飛白文、摹印紅(ぼいんこう)文、麦実(ばくじつ)文、薠(はん)篆、か(禾+解)葉(よう)文、行草篆、釵股(さいこ)篆、正畳(せいじょう)篆、拍子(はくし)文、金釣(きんちょう)篆、金剪(きんせん)書、繆(びゅう)書、香煙(こうえん)文、霊芝(れいし)篆、木簡文、廻鸞(かいらん)篆、銭線(せんせん)文、急就(きゅうしゅう)章、流金文、陰易(いんえき)文、柳葉(りゅうよう)篆、皇升(こうしょう)篆、天書云(てんしょうん))篆、金剪刀(きんせんとう)、鳥書、古鳥跡、象形文、罘愚(ふぐ)篆、玉箸(ぎょくちょ)篆、清濁篆、開元文、九畳篆、以上(※3)
13:【篆書(体)とは】
これまでの解説をまとめると、篆書(体)とは、狭義では「周の宣王の時代に史籀によって籀文(=大篆)と秦の始皇帝の時代に制定された小篆の二種に分けられる」が、一般的には「甲骨文、金文、大篆、小篆、さらには印篆までを篆書(体)という」ことが多い。また、篆刻家には「虫篆」を好んでする方もいるのだから、篆刻の可能性を広げるという意味においても「隷書以前のあらゆる書体が含まれる」と広義に捉えるべきでしょう。
出典:
※1 『淡交ムック 篆刻入門』淡交社 1994年
※2 『篆刻文字(三)大篆』マール社 王超鷹著 1990年
※3 『篆書百体千字文』マール社 孫枝秀 原輯 1984年