ただ、念ずるばかり。(篆刻:念)

念
先週の金曜日の午前中は、うれしいことが続いた。 まず、このブログの本の試し製本が2冊届いた。版下のすべてを自分で作ったから、 当然拙いのだが、想像よりは出来がよかった。200部の製本にかかるよう頼んだ。 そこに、篆刻の注文の電話が入る。個人印が気に入ったので、友人のプレゼントにも、 というご依頼。よろこびの数珠つなぎ。こういうおだやかな広がり方が、いちばんいい。 しかし、その後の電話がいけない。 8月の流しソーメンに来たAくんが、亡くなったという。長い間、うつ病が治らなかった。 うつ病の先輩として気になっていた。6月に会ったとき、毎日パソコンが相手、と聞いて、 田舎のいい空気でも吸わなきゃ、と誘ったのだが。生まれて初めて竹を切りましたと、 静かに興奮していたのだが。「来年も誘ってください」と、メールをもらったのだが。 大阪から奈良に出かける気になったこと自体、少し元気になっていたのだろう。 うつ病で死にたいと考えるタイプの人は、元気になりかけた時が、もっとも危ない。 死ぬ勇気につながってしまうことがある。はたしてAくんは、生きることの苦しみから 見事に脱出して、安楽の世界へのワープに成功したのだろうか。 ただ「念」ずることしかできない。来年の夏も、流しソーメンをやるから、きっとおいでよ。
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