道の首って、なんの首。(篆刻:道)

道
この篆刻は「道」。彫ったときのテンションが、あからさまでお恥ずかしいが。 シンニュウは龍の首のよう、首も闘鶏のとさかのよう。明らかに躁症状ですね。 しかし、道という漢字特有の高揚を表す点では、あながち間違いでもない。 古代、異族との戦いでは、勝利者が敵の長の首を持って、道を除霊したという。 勝ち戦さの儀礼の興奮は、お天気屋の浮かれ気分の比ではないはずだ。 お米の出荷も終わって、農村では道づくりシーズンの開幕だ。あちこちの田で、 畦(あぜ)の修理に忙しい。予算がないからと、2期に分けた市道の拡幅工事も、 再開になる。隣の村へ通じてはいるが、ほとんど人も車も通らない道をなぜ、 と思うのだが。その道の両側の地主さんに買収の同意の印をもらいにいったのは、 12年前にも町会長だった、この私。まだまだ市にもお金があった頃の話。 金余りの時代に決まった事業を、金欠の時代になってやっと実施する。 地元の我々も、「いやあ、お金がないなら、中止でもいいですよ」とは言わない。 議員さんへの陳情も、かつての金余り時代のような効果はなくなったけれど、 それでも地元の議員さんは、完成の暁には、鬼の首でも捕ったように胸を張る。 むかしは敵の首、いまは鬼の首。道と首とは、切ってもきれない。
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