道は、どこにありますか。(篆刻:道在糞尿)

道在糞尿
誰かに、「道はどこにあるのでしょう」と聞かれたら、なんと答えますか。 まあ、聞かれた場所にもよる訳で、道に立っていたなら、足もとを指差して、 「ここ」と答えますね。(そんなヤツは、おらんか) それじゃあ、どこかのお寺で、 お坊さんに、じっと目を見て聞かれたら、「この山門の外ですが」なんて、言う? 漢字は、時と場合で、意味が変わるから、ややこしい。(英語だって、そうか) 首は強い呪力を持つので、それを持って道を歩き、門に埋めて、悪霊を祓った。 それによって、人は安らかに道を行くことができた。そこから、人の行いを道といい、 道理、道徳の意ともなり、さらに人間・宇宙の存在の根源にある唯一絶対のものを 道というようになった、とか。そこで、悟りを開いた高僧と弟子の、定番のシーン。 「お師匠様、道はどこにあるのでしょうか」 この答えが、実にいろいろあります。思いつきで何でもいいのか、というくらい。 篆刻は、そのひとつで「道は、糞尿に在り」。人の後ろから米が出ているのが糞、 人の前から水が出て尿で、そのまんま。ところで、この奈良の東部山間でも下水道が 整備されて、来年から3年以内にはトイレを水洗にしましょうね、ということになった。 そうなれば、「道の中に、糞尿あり」。うーん、汚いオチだなあ。
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