身も土も、ふたつならず。(篆刻:身土不二)

身土不二
「身土不二」は、しんどふに。しんどふじ、でもいいのかな。 身も土も、ふたつのものならず。私はカラオケで、ここぞという時に、宇崎竜童の 「身も心も」を歌うが、そんなこととはまったく関係がない。 「不二」には、ふたつとない、という意味も。だから富士山は、もともとは不二山。 これぞ、世界に不二である哲学者・福岡正信先生の真骨頂だと、思う。 人間は自分の住む土地と切っても切り離せない、一体、同心のものだ、ということ。 家から歩いて行って帰れる範囲のものだけをありがたく食べてさえいれば、 それで十二分に健康でいられる、という実践的思想。山彦は山や川で採れるものを、 海彦は海や丘で獲れるものを食べる。それだけで、それぞれが幸福。くどいようですが、 我が家の徒歩圏内にコンビニがあるから安心だ、幸福だ、という話ではないよ。 この「身」は、ほら、お腹に子がいるでしょ。妊婦。「身」は、ただの体はではない。 この「土」も、わざわざ盛った土で、お酒で清めて祈る対象。ただの「地面」ではない。 本来、文字にはそれだけ深い生い立ちがあった。そして、それから、四千年。 文字も言葉も擦り減って、スカスカになった。と、思いませんか、特に国会の皆さん。 何だかやっと「篆からの贈りもの」らしくなってきましたね。どっこいしょ、と。
ページ上部へ