42歳の、遊。(篆刻:PLAY)

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庭でラッパズイセンが咲いている。この水仙、最近はなぜか花屋で見かけないが、
遊が生まれた42年前は一般的な花だった。出産した横浜の日赤病院から家に
来る日、玄関の木桶いっぱいに入れて迎えたのは、いまでも色鮮やかな記憶だ。

遊が高校生の頃だったか、カーステレオからトム・ジョーンズの“思い出のグリーン
グラス”が流れていて、助手席の遊に「これを結婚式で歌う人がいるけれど、死んで
棺で故郷に帰る歌だぞ」と話したことがある。その後、ちゃんと歌詞を調べたのか
「やっぱりそういう歌だったね」と言った。部屋には相当な数のCDが残っていたが、
音楽の話をしたのは後にも先にも、この曲だけなのだ。監獄で死刑になったこの曲と、
鈴鹿のバイクレース事故との違いはあれ、死して我が家に帰るのは同じ。この曲と
“七つの水仙”は遊とダイレクトにつながるから、好きな曲だけれど、とてもつらい歌。

27歳と9カ月で逝った面影しか残っていないから、42歳など想像もできないけれど、
1週間違いの年子の弟を見れば、それほどオッサン臭くなっていないのではないか。
結婚しているか、子どもはいるだろうかと考えないでもないけれど、遊はあのままの、
若いままの遊でいい。篆刻は「遊を遊ぶ」と題して「遊」70点を彫ったうちのひとつ。
遊は名前どおり遊びの天才だったから、私も負けずにもっと遊ばなくっちゃ、篆刻で。

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