その水は天国か、地獄か。(篆刻:一水四見)

一水四見
篆刻は「一水四見(いっすいしけん)」。仏教の言葉らしいけれど、 同じ水を見ても、天人は宝石を散りばめた池と見る、人間は水、餓鬼は膿んだ血、 そして魚は自分の住む家と見る。「一処四見」とも言うし、岩國哲人さんの ブログ《一月三舟》も同じ意味。人の心の外には事物は存在しない、という 難しい話なのだそうだが、要は何事も見る人の心の持ち方次第。 私の子が幼稚園くらいの頃、風呂に入りながら、こんな話をした覚えがある。 「ご馳走が食べ放題の国があってね。でも、人はみんな手を後ろに縛られている。 目の前にあるのに食べられない、これは地獄だ、と泣き叫ぶ人たちは、 ガリガリに痩せている。でも、まるまる太って、天国、天国と笑っている人もいる。 その人たちは、自分で食べられなくても、お互いに食べさせっこをしているのさ」 心の持ち方じゃぞ、と偉そうに言うより、具体的な行動を示すおとぎ話の方が、 よっぽど気が利いている。高齢者用リハビリ施設で、車椅子に座るか、 ベッドで横になるかしか出来ない私の母は、後ろ手に縛られたのも同じだけれど、 3度の食事におやつも出て、風呂にも入れてくれる。それは天国か、地獄か。 しかし、母に「後ろ手の国」の話をしたことはない。93歳では、もう手遅れだろうな。
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