いきなり、形から。(篆刻:形)

形
Dという広告代理店にいた頃、剣道部の練習場は5階の会議室(!?)だった。 剣道部のF君が、練習前、リノリウム(!?)の床を掃除していたので聞いてみた。 「あの映写室(!?)に吊ってある道着、着てみていい?」。臭かったけれど、 結婚式以来の袴姿をよろこんでいたら、剣道部の主将が入ってきて、言った。 「お、似合うじゃないですか。剣道始めたら?」。  兄は柔道をやっていた。姉も陸上部だった。私といえば、33歳のその時まで、 運動なんぞしたことがない。だが袴の様式美というものが、運動嫌いを駆逐した。 その翌日には、会社から遠くない武道具屋で道着と竹刀を買っていた。 ふつう新入部員はジャージ姿で素振りだけを3ヵ月はするというのに。 袴は敵の目から足さばきを隠すもの。袴で素振りの練習など、していないに等しい。 いつかのテレビで「これからは心の時代」という意見に、「いや、形の時代です。 心は揺れ動く。形を心の器として、先にきちんと決めなければ」という話を聞いた。 かの孟子さんも「形は修養によってはじめて完成する」とおっしゃったらしい。 では、修養のない形は、どうなるか。篆刻は、「形」。左側が実で、右側が虚という 構成なのだけれど。またまた形ばっかり・・・、という声が聞こえる。
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