別々で、見分けられない。(篆刻:無分別)

無分別
このブログは、おのれの恥を承知で世間にさらしているものなのだけれど。 前のダンボールコンポストの話で、「微生物の分解、発酵には水分が必要と 言われた」と、こともなげに書いた。実はこれ、私には大ショックだったのだ。 なぜなら、私はある企業の環境広告シリーズを制作している。その商品に、 土に還るポリエステル繊維があって、新聞広告には、こう書いている。 「水によって加水分解され、さらに微生物によって生分解される」と。 それなのに、生ゴミで堆肥をつくろうとして、水のことなど考えなかった。 日本は、温暖化対策で言ってること、やってることがバラバラと書いたが、 そっくり自分に返ってきた訳だ。日本もそうだが私だって、言うことと やることがバラバラなんです、と居直ろうと思っていた、その矢先・・・ これまでのブログで、篆刻の「光」を2回使っていたのに気がついた。 他も見直したら、「無駄」も「道有」もダブっている。新しく彫り直したり、画像を 入れ替えたりで、1日つぶれた。(もうないだろうな) 篆刻は、恥かきついでに 旧作「無分別」。本来は、主観・客観を離れた、真実の知恵という意味だが、 私にとっては、言うこととやることが別々で見分けもつかない、という意味。
ページ上部へ