染井吉野が、咲いた。(篆刻:咲)

咲
咲いた、咲いた、桜が咲いた。この奈良の山里でも、染井吉野がとうとう咲いた。 前座の河津桜や啓翁桜は散りはじめて、いよいよ真打、染井吉野の出番。 いま、五分から七分咲きで、きょうの強い風雨にゆさゆさと揺らぐ姿も魅惑的だ。 この機を過ぎると、派手すぎず地味でもない、絶妙の桜色が峠を越えて褪せていく。 桜の満開には素直に感動するが、咲き尽くすことに全精力を絞って、痛々しくもある。 先の日曜日、庭での花見に誘っていただいた。道路にそった敷地の斜面に 何本もの染井吉野を植え育てて、それは見事な春爛漫、至福の光景だったけれど、 惜しむらくは、その中に濃い紅の花桃がちらほらと混ざっていたこと。 どうせ混ぜて植えるのならば、なぜ山桜にしなかったのかと、かの西行さんも 歯ぎしりをしているのではないか。桜は、一に染井吉野、二に山桜だと、私は思う。 日本の和歌や俳句で、花といえば桜のこと。でも、中国で花とは菊のこと。 「咲」という字だって、ご本家中国では「笑」の俗字で、花が開く意味に使うのは 日本だけとか。この「咲」は、桜がついに咲いたよろこびを形にしてみたのだけれど。 こういうときに言う「御一笑を乞う」は、だから「御一咲を乞う」とも書いていいし、 そのお答えが「へへ、笑っちゃうよ」なら、ぴったりの模範解答になる訳ですね。
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