篆刻の、無限。(篆刻:無限)

無限
この頃、私は日に何回か、波打ち際を散歩する。といっても、奈良の東部山間の ことだから、パソコンの画面上の話だが。バーチャルなお散歩ソフトでもない。 実は、ウィンドウズ用のフォトショップという画像処理ソフト。スキャンした篆刻を 画面いっぱいに拡大して、輪郭からはみ出た印泥(印肉)の油のにじみを、 消しゴムツールでシコシコと消し続けている。これが、なかなかの散歩なのです。 篆刻は、左手の石を右手の印刀で彫るから、いくら真っ直ぐにしても、拡大すれば 手の揺れや石の粒子の大小で、直線にはならない。たとえば海岸線とかシダの葉、 雲の形などは、部分が全体と相似(自己相似)形になっていて、フラクタルと 呼ばれるけれど。このフラクタルには癒しのリズムがあって、拡大した篆刻の 輪郭のウネウネもフラクタルに近い。渚で波の形を追いかける感覚に近いのです。 フラクタルの面白さは、それだけじゃない。たとえば海岸線の長さを測る場合。 物差しの目盛りをどんどん小さくすると大きな目盛りでは測れない凹凸までが 計測されるから、結局測定値は無限大になるのだという。篆刻の楽しみを 「方寸の世界で遊ぶ」というけれど、1寸四方の中に無限の長さを創出している と思えば、実に痛快ではないか。篆刻は「無限」で、この輪郭の長さも無限。
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