運と、不運と。(篆刻:運否天賦)

運否天賦
マツダの車のCMで、若い女性が「人生なんて、そんなもんよね」という風なことを 言うのを聞くたびに、嫌な気分になる。あんた、人生、もう分かっちゃったの、と。 たとえば、米ミネソタ州ミネアポリスの橋の崩落事故。落ちて死んだ人がいるし、 かろうじて落下をまぬがれたスクールバスの子供たちがいる。その生死を分けた、 一線の右と左を、ただ運というひと言片付けていいものか、どうか。 私が、小学校高学年だったと思うが、鶴見の二本木というバス停の手前を 自転車で走っていた時のこと。木の電柱を埋めていたのか、掘り出していたのか、 その電柱が倒れてきて、私は道に投げ出された。前輪が直角に曲がっていた。 ペダルをもうちょっとこいでいたら、電柱は私の頭を直撃しただろう。向かいの 八百屋のおじさんが見ていて、「まあ、なんと運の強い子だろう」と言った。 篆刻は、「運否天賦(うんぷてんぷ)」。運、不運は天の成すところ。運を天に任す、 という意味でも使うらしい。人間は人知でどうにもならない物事を、天という名の 押入れに突っ込んでしまう。電柱事故を含めて、我ながら強運だなあ、と 何度も思ったけれど、私だって走っている橋が落ちる確率はゼロではない。 運、不運を含めて、人生は終わりにしか分からない。ね、CMつくった皆さん。
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