懸かりながら、待つ。(篆刻:懸待)

懸待
今朝の日経を、1面からよく読んだ。参院選後、このブログでも、この総理の 言葉は信じられないと書いたが、辞任表明の言葉も意味も、軽く、空疎。しかも、 あと1週間後には新総理が決まるというのに、日本中で誰も予測できない、という おかしさ。そんな場合、副大統領がその日のうちに代わるというアメリカの制度は、 危機管理という意味では理にかなっている。などと、思いつつ日経の最終面へ。 なんと、文化欄に柳生流の袋撓(しない)を山梨に住むロシア人が製作している、 という話。先日の柳生・正木坂道場でも、お借りした撓が二蓋笠会の方の お手製と聞いて、「これなら自分にも造れるかも」と、ふと思ったのだったが。 国内外約300人の転会(まろばしかい)の会員の撓を一手に引き受けている、 とのことで、不愉快な気分は一転。爽やかな風にふかれた心地になった。 篆刻は、「懸待(けんたい)」で、以前の「表裏」との対の昔の習作。何かで読んで、 新陰流の言葉だけを寸借したが。受ける太刀がそのまま攻める太刀。懸かると待つ、 攻めると防ぐが表裏一体なことは、いかに鈍い私でも演武を見て分かった。 中学で武道をまた必修にする話もあるが、その前に政治家の必修にすべきでは、 と思う。まあ、H元総理の剣道は、ぜんぜん役には立たなかったけれど。
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