あかりで、くつろぐ。(篆刻:寛)

寛
「遊口会」で京都に行って、ほろ酔いで覗いて歩いた、ある古道具屋。 ほとんどがガラクタばかりだったが、奥にいた古道具のようなおじいさんに 「麦わら帽子ありますか」と聞いた。「麦わらはないけど、イグサならあります」 それでもいい、と答えたら、突然シャンとして店の前の自転車に乗って出て行き、 すぐ帰ってきた。ほぼ新品もあったが、あえて日に焼けた古いものを買った。 その日はかぶって歩いたが、これは家の白熱電球の笠にするためのもの。 縁側の部屋の麦わらのそれが、陋屋にぴったりと好評だったが、風で揺れるので、 上の電線に当たる穴がボロボロになってしまった。その2代目という訳。 まあ、電球の笠は、帽子でも竹と和紙でも何とかなるけれど。その元の白熱電球が 温暖化対策で、むこう3年ほどで生産・販売が中止になる。これは、困る。 エネルギー効率でいえば無駄だけれど、政府がそこまで強制すべきことなのか。 谷崎の『陰影礼賛』を持ち出すまでもなく、あかりの明暗は心の奥深くに関わる 文化だ、ということを忘れていないか。それは、行政の効率のためだけに、 由緒ある地名、町名が消えていく現実とも重なる。篆刻は、「寛」。巫女が悠々と 歌い舞い祈る姿だが。蛍光灯ではくつろげない人間もいることを忘れてほしくない。
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