苦しみは、尽きて。(篆刻:苦尽甘来)

苦尽甘来
玄侑宗久さんの『アミターバ 無量光明』を読み直した。玄侑さんの奥さんの お母さんの死を核にして、宗教学のカール・ベッカー氏と物理工学の古澤明氏の 研究成果に示唆されて、形になった小説だと記している。玄侑さんは、仏教の 地獄観には懐疑的ながらも、極楽浄土の世界を信じている、いや信じたいようだ。 さらには、死の直後にある体重の減少が魂の重さではないかと考えているらしい。 その魂の重さは、膨大なエネルギーになって、魂に現世の時空とまったく 異なる自由を与えるのではないかと。「極楽浄土ってのは、なにか私らには 計り知れない存在の意思や思いが実現している場所らしいんですよ」  「自分の望んだとおりの美しい形が現われるらしいですよ。音楽を聴きたいと 望めば聞こえるし、いい香りがかぎたいと思えばかげるっていうんです」  おととい、私の広告のキャリアの半分、足かけ20年間お付き合いいただいた Mさんが、癌との戦いに敗れて亡くなった。篆刻は、「苦尽甘来」。苦しみは ついに尽きて、甘美で自由で、光彩に満ち溢れた極楽浄土に往かれたと、 私は信じたい。せっかく大阪の会社にまで届けてくださったクコの苗を、 枯らせてしまったことが悔やまれる。Mさんのご冥福をお祈りします。合掌
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