「字というやつが混濁の極だ。事物であると同時に影でもあるし、意味定量がない。
経験によってどうにでも変貌する。たえまなく生きてうごめいていてとまることがない。
とめるということもできない。・・・玉虫の甲みたいなものだ。」と大いに嘆いたのは
開高健先生だが。中国の南宗時代、1700年以上も昔の禅の公案集『無門関』の、
この一節は、ご存知だったろうか。「言無展事 語不投機 承言者喪 滞句者迷」
「言(こと)、事を展(の)ぶること無く」 言葉は事実を伝え得ない。
「語、機に投ぜず」 語句は心の真実を具現しない。「言を承(う)くる者は喪し」
言葉に執着する者は真を見失う。「句に滞る者は迷う」 語句にこだわる者は迷う。
これは実に正論で、だからお釈迦さまの特技は以心伝心だったが、悲しいかな
並みの人間は言葉という道具、功罪を併せ持つ両刃の剣に頼らざるをえない。
そこで、篆刻は恥ずかしながら旧作の「愛語回天」。これも禅の言葉らしく、
良寛さんにも「愛語」の書がある。思いやり、慈愛あふれた言葉やもの言いは
世の中や人生さえも動かす力があるということ。だから、せめて言葉を発するときは
相手の身になってと、その時は思ったけれど。これを刻んだことすら、忘れていた。
日頃は言った、言わない、聞いてないの数珠つなぎで、これでは「愛語空転」。
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言葉の、ちから。(篆刻:愛語回天)
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