押すか、捺すか。(篆刻:波羅僧羯諦)

波羅僧羯諦(重ね押し) これが、篆刻・般若心経、2枚目も失敗の無残な姿。「波羅僧羯諦」の 縦横二重押し。こうなったら、やめてフテ寝を決め込むしか、手がない。 さて、私はここまで「印を押す」と書いてきた。「押印」と言うが、「捺印」とも言う。 だから、印を捺すでもいいのだが。正しくは「(けん)」らしい。白川静先生の 『字通』にも、「=しるし、印、印をおす」とある。しかし、印を(けん)す、とは 言わない。動詞でないから、使いにくい。使う人がないから、読める人もいない。 水野恵さんの『日本篆刻物語』では、あえて「(お)す」とルビをふっている。 「が、あらゆる篆刻の技のうちで一番難し」い、とおっしゃる。では熟達の 人が現われない。の名人達人など百年に一人生まれるかどうか、だと。 ややこしいから、分かりやすい「押す」に戻すが。私は、篆刻を彫るのは 苦にならない。一日中でも飽きずに続けられるが、出来上がった印を押すのが 好きではない。篆刻も紙に押さなければ、ただの石の塊に過ぎないと、 分かってはいるのだが。強いて理由を考えれば、石に彫るのは無から有を生む 創造だが、紙に押すのは、ただ右から左の転写作業だから、ではないか。 さあ、精魂を込めて、篆刻・般若心経のに再挑戦。でも、今度の土日、にね。
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