海の私、山の私。(篆刻:海)

海 この6月2日は、横浜開港150周年だった。横浜市のはずれ鶴見区で生まれて、 19歳まで東寺尾町。それから結婚まで南区。新婚時代は金沢区。子どもが 生まれる頃は中区。32歳まで横浜市民で、奈良に住むいまも、本籍は中区竹之丸。 奈良より横浜の方がかっこいい、と子どもに言われてそのままにしているのだが。 それまでの本籍は中区相生町6丁目。祖父の「さし重」という家具屋がそこだった。 グーグルマップのストリートビューで360度を見れば、大都会。航空写真では 100メートル足らずのところに、旧横浜正金銀行、現在の県立歴史博物館がある。 私が生まれる前、家族は生糸検査場(現・横浜第二合同庁舎)の前に住んだことが あるし、カミサンの父が金沢で生糸関係だったから、結婚式はシルクホテルで挙げた。 この春、その周辺を歩いたが、ホテルは廃業し、一部がシルク博物館になっていた。 小学校高学年の頃、元日の朝、横浜港で日の出を見ようと、鶴見から自転車で 山下公園のマリンタワーまで行った。展望台で、お屠蘇が出てほろ酔いで帰った。 三渓園の海で立ったまま、澄んだ水の底のハマグリを足の指で採った記憶もある。 篆刻は「四海静穏」の一部で「海」。横浜で32年、奈良で31年。海の私だったが、 もう山の私になってしまった。海より山の方が落ち着ける。性に合っている。
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