町の顔、人の心。(篆刻:心)

心 迫田司氏の『四万十日用百貨店』(羽島書店)によると、四万十では「車で すれ違っても誰が運転していたかすぐ分かる」というが。本当なのだろうか。 市道はともかく県道ですれ違った車の運転者の顔は、私にはまず見えない。 三浦展氏の『ファスト風土化する日本』(洋泉社)は、恐ろしい本だった。 国や地方が市街地から郊外へと開発を進め、同時に道路網を整備した。 ジャスコ、マクドナルド、ユニクロなどが集積したパワーセンターが出現する。 そこの商品は、日本のどこでも買える、いわば顔のない商品ばかり。そして、 そこに家族は車で消費しに行く。家族は車に乗って国道を走るとき、すでに 匿名化している。名前のないグループが、顔のない商品を消費するのだ。 実は、さらに犯罪多発地帯と大型スーパーの関連にまで話が及ぶのだが。 奈良市北東部のここでも、酒、たばこ、最低限の食品と日用品の店が1軒だけ。 だから市内のスーパーや国道沿いの大型店に車で買出しに行くしか手がない。 25年前は、肉を置く店、鉄工所、造り酒屋、車の整備工場などがあったのだが。 子どもが学校帰りに、店や職人の作業場をのぞく。声をかける、働く姿を見る。 それは、もう出来ない。顔のない町で、心など育つ訳がない。篆刻は、「心」。
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