三日坊主の4年は、長い。(篆刻:長)

長
生まれ育ったのは、横浜の鶴見。海側でなく山側で、まだ田んぼも畑もあった。 イナゴ、ドジョウ、ザリガニを獲って遊んだ。母の実家が埼玉・深谷の農家だったから、 小学校の頃から夏休みにはひとりで高崎線に乗って泊まりに行った。牛やヤギがいて、 お蚕が桑の葉を食べる音も聞いた。高校になっても、自転車で鶴見の駅前に行くのは、 本屋か映画館。山手線だって大学受験で初めて乗った。横浜の田舎っぺだった。 だから、東京は、他所の都会。自分を含む他所者が、つま先立って無理しているのは 見るだけで疲れる。いまでも好きになれない。奈良に住みはじめてすぐ、 東京に出張して、帰りの新幹線に乗ると、ホッとした。それは、いまでも変わらない。 都会から離れて住みたいが広告のクリエイターでいたい。心のどこかで望んでいたが、 横浜に住んで東京で働いたし、奈良の市内のはずれに住んで大阪に通った。 田舎の土地を探しはじめたのは、大阪の広告代理店勤めの頃から。 前に書いたキッカケでその会社を辞めて、いよいよ土地探しが本格化した。 職業訓練校で大工の勉強をして、自力で家を建てるつもりだったが、柱1本もひとりで 持てないと分かって、空き家探しに方針変更。いまの家に出会うまで4年かかった。 篆刻は「長」。子供の頃からの三日坊主、熱しやすく冷めやすい私の4年は、長い。
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