送る、火。(篆刻:火)

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京都・五山の送り火は、知人のマンションが大文字のほぼ正面にあるので、何回か
見せてもらった。亡くなった息子の戒名を護摩木に書いて燃やしもした。燃え上がる
大文字を見ながら、隣の人に息子さんのことを思い出すでしょと言われたこともある。
思い出さない訳はないけれど、あれは送り火であっても観光ショーの色の方が濃い。

岩手・陸前高田市の津波で倒された松を五山の送り火で燃やすのが中止になった。
保存会と市が放射線を計ってゼロだったのに。市が中止しないよう保存会に要請した
のに。保存会全員の賛成が得られなかったからだという。マスコミで伝えられたように、
松の板でさえも京都では一見さんお断りなのか、と嘆かわしい気になったのだが。

いやいやと思い直した。岩手の松を京都の送り火で使う意味は何だろう。発案した
人、松を割り、削り、呼びかけた人のご苦労には頭が下がるが、鎮魂の思いを書いた
松が、京都の五山の送り火で燃やされたら霊もよろこぶという考えは、何なのだろう。
多くの霊が、それを望み、よろこぶか。岩手に京都の名や、五山というブランドへの
憧れはないか。京都側に岩手の人がよろこぶだろう、というおごりはないか。私は、
結果的にその松が岩手で燃やされて良かったと思う。東北に、京都はさておいて
岩手は岩手という誇りがなければ、新しい道は拓けない。篆刻は、山にも似る火。

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