奈良市内に映画館はひとつも無いが、「無印良品」はある。文化果てる一歩手前で
踏みとどまっている。無印良品は田中一光氏のアートディレクションは言うまでもなく、
その企業姿勢や商品開発においても、長い間私の敬愛するブランドだったのだが。
今年1月、無垢のブナ材をくり抜いた小さな置時計を無印で買った。しかし、6月に
止まって、新しい電池を入れても動かない。修理に出したら、新品と交換になった。
それがまた、8月半ばに止まった。すぐ店にもって行って、やっと一昨日電話がきた。
「中にゴミが入っていて、ゴミを取っても動かないので新品を送る」と言う。また昨日も
別の店員から同じ話の電話があってあきれていたら、先の店員から「同じ電話を
してしまい」と謝りの電話があった。電話はもういいから、品物を送ってくれ。それと、
この商品は欠陥ではないのか、ちゃんと調べてくれと頼んだ。そして今日郵パックで
時計は届いたのだが、段ボールの中身は時計と説明書だけで、何の挨拶もない。
篆刻は「良」で、袋の上下に流し口がついた穀物を量るもの。穀物の良悪を見分ける
から良、善の意味になった。税込でたった2100円、中国製(輸入元はリズム時計)の
商品で騒ぐ気はないが、運悪く私だけが数万個に2個の貧乏クジに当たったのだと
思いたい。ブランド名の良の前に不がつかないことをファンの一人として願うばかりだ。