うつ病、そして「ハイエスト・ハイ」。(ロゴ:HighestHigh)

「ハイエスト・ハイ」
さて「袋や」は、どうなったか。決して便利ではないのに、けっこうお客さんは来てくれた。 皆さん、空気がおいしい、緑がきれい、とお茶を飲み、お菓子を食べながら感激される。 あら、もうこんな時間、とあわててお帰りになる。黒字になりっこないので、早々に休眠。 一方、私は大阪のAというデザイン会社のコピーライターになっていた。かのダイエーも 本社を東京に移したし、私は家を買った。関西にいるならM電器の仕事をしたいと思った。 広告代理店上がりだから、代理店には使い勝手がいい。社長兼アートディレクターの Yさんも、ほとんど私に任せっきり。電通、博報堂、大広とお付き合いして、広告賞も ずいぶん獲った。代理店のM電器担当が他社担当に変わる。M電器以外もやらないか、 という話も多く、同じビルにYさんと別会社Hをつくった。会社2つの掛け持ち。 ビジネスホテルが閉まって、床にダンボールを敷いて寝たことも、1度ならずあった。 私はHの社長になり、コピーライター、デザイナーを増やす。が、根っからの一匹狼に、 急に部下が増えたらどうなるか。人に任せる、ほめて伸ばす、ということが出来ない。 共同経営のストレスもあって、うつ病になった。10ヵ月ほどたっても、治らない。 会社を辞めた。そして、うつ病全快後に休眠していた「ハイエスト・ハイ」を復活させる。 篆刻ならぬ会社のゴム印。「二ツ巴」は、カミサンが作ってくれた薬袋のデザインだった。
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