仏を、めぐる。(篆刻:仏)

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我が家の向かいには泥掛け地蔵と呼ぶ石仏がある。泥をかけて祈ったのではなく、
土をいくら盛っても崩れる斜面の上にあるかららしい。毎年正月に赤い前垂を新調し、
孫たちも連れて参るのだが。3体並んだ姿はお地蔵様ではなく、観音様のようだ。

このように名もない石仏の数は狭川地区には無数にあったらしく、その多くは道路の
拡幅などで撤去され、両町の光明寺(融通念仏宗)にも数多く集められている。その
両町の県道そばの桜並木には5人斬り磨崖仏という大きな石があって、本能寺の変・
山﨑の合戦で斬られた落武者を弔うために建立との言伝えがある。西狭川町の山裾
に吹き出物を治すジョウセン(飴)地蔵、狭川東に子宝祈願の子安地蔵、下狭川
に歯痛地蔵などがある。明治時代、静海という僧が自らを刻んだ石も残されている。

古い仏像も数々残る。両町集会所には1520年の銘がある毘沙門天木造がある。
下狭川の中墓寺(融通念仏宗)にある平安時代の薬師如来像、阿弥陀如来像
(2体)は県の重要文化財に指定されている。仏像ばかりでなく、古い観音様の
掛軸を婦人たちが囲む観音講や十九夜講などが東部山間には多く残る。この西狭川
は2、6、10月と年3回の二月堂参りを続けていて、つい最近まで白い帷子が入った
木箱を当番に廻していた。ちなみに、この地域では現在でも土葬が許されている。

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