天皇陵が、あった。(篆刻:天)

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狭川10町で唯一狭川と付かない広岡町は、昭和54年刊の『奈良町風土記続編』
に11戸とあるが、現在7戸だけ。しかしその歴史は奈良時代にさかのぼるほどに
古い。天平時代の753年に廣岡夫人がこの地に普光(廣岡)寺を建立した。広岡
の地名は廣岡夫人からか、廣岡に住んだから廣岡夫人なのかは謎のままだ。夫人
は恭仁京(木津川市加茂町)の中心人物で葛城王だった橘諸兄の弟・佐為の娘、
光仁天皇の皇后または聖武天皇の夫人だった。『続日本記』は781年に光仁天皇
が廣岡山稜に葬られ、6年後に田原に改葬されたとする。光仁天皇陵は普光寺の
跡で、広岡九頭神社の裏手、榊の古木2本が残る。広岡九頭神社は創建年不詳
だが祭神は狭川と同じ天手力男命。狭川九頭神社は九頭大明神、五社大明神、
戸隠神社などとも呼ばれたというから、広岡の方が狭川より古いかもしれない。

広岡の西側山頂には経ヶ塚がある。経ヶ塚は南北朝時代の笠置合戦で護良親王が
陣地を設け、笠置寺の鬼門なのでお経を埋めたという。明治には経ヶ塚から広岡
九頭神社に秋葉神社が移転される。広岡は下狭川から3キロで、川向こうは笠置町。
市北東の端だが、狭川地区の歴史と由緒を物語る土地であることは、誰も疑わない。

広岡は蛍が多い。夏、川から湧くように飛ぶ夜景は古代の記憶にも似て、幻想的だ。

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