創造の、神。(篆刻:光)

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私が広告プロダクションのAZ(エージー)から外資系広告代理店のグレイ大広に
移ったのは1971(昭和46)年で25歳。上條喬久さんのチームだった。上條さんは
現在日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の副会長さんだが、上條スタジオと
して独立する直前。表皮の上下を着たのを見て「河馬ですね」と言った記憶がある。
何という無礼! その頃、上條さんがTシャツ展をされた会場に 田中一光さんが
みえていた。私は「あれがイッコか」とつぶやいた。なんという非礼! 生意気盛りも
ここまでいけば礼の次元でなく、品性下劣。いま思い出しても顔から火が出そうだ。

先日、奈良県立美術館で「特別展・没後10周年・田中一光デザインの世界」を見た。
『田中一光とデザインの前後左右』という本の帯には「20世紀をデザインの世紀に
した日本の巨星」とあるが、これは星なんていうものじゃない、20世紀後半のジャスト
50年間実在した創造神です。「デザイナーは苦悩は腹の奥深く呑みこんで明日の
陽光を全身で信じ、どこまでも生き生きと行動するべき職業かもしれない」と語った。
確かに、そういう時代に生きたのだが、それさえも神が配剤したこととしか思えない。

それにしても、奈良が生んだ創造神を迎えるにしては、あの美術館はお粗末すぎる。
イッコと呼んだ罰当たり者に、それを言う資格がないことは百も承知で、実にひどい。

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