さて、小沢昭一『俳句で綴る 変哲半生記』と楽篆堂の合わせ鏡の続編。毎年では
お退屈でしょうから、かいつまんで。やっと剣道初段になった昭和58年「ぬくき夜は
素足で下駄でポストまで」 新しい広告プロダクションの共同経営を始めた58年は
「行く先のあるらしき空赤とんぼ」 剣道二段の平成元年「年齢(とし)で知ることの
多きよ夏野行く」 過労と共同経営のストレスで鬱病になった3年には「病みし子へ
鴨居にさした風車」 鬱病が治り、父が亡くなった4年「信心のうすき身なれどよき
彼岸」 (有)ハイエスト・ハイをスタートした5年は横浜から奈良に来て15年目で
「横浜の坂やまもなくクリスマス」 阪神淡路大地震の句が見当たらない7年には
「駅裏に春一番の破れ傘」 長男・遊が亡くなった11年12月には「法事なる末席に
いて隙間風」 次男に初孫が生まれた13年は「雨だとよはずしておけよ鯉のぼり」
東京神田神保町に事務所を開いた14年「書肆(しょし)ごとのにほひ神保町の夏」
逗子から奈良に戻ってSOHOにした15年「春寒や不義理出不精人嫌い」 篆刻の
HPとブログを始め、還暦を迎えた18年「秋雨に生きている人逝きし人」 仙台で
桜の頃母が亡くなった20年「親鳴くや巣より落ちたる雀の子」・・・と、約4千句は
24年7月で終わり12月10日没、句集発行は12月20日。お見事、あっ晴れ!!