「狭川帖」、余話。(篆刻:縁)

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この9月、大阪の狭川K子さんという方から、「突然、お目文字もなく」という書き出しの
お手紙をいただいた。狭川さんは昭和5年生まれの83歳。曾祖父・與七郎さんが、この
狭川から奈良市内の高畑町に移転、狭川家の墓も十輪院畑町の興善寺に移した。狭川
さんは父よりも父の従姉妹の「おばちゃん」から狭川家のことをよく聞かされ、「あんたは
狭川家の惣領娘として、しっかり家を守るように」と言われたそうだ。去年は與七郎さんの
百回忌。今年も8月の施餓鬼供養に車で奈良を訪れた時、はじめて「狭川町」の標識と
「下狭川町」行のバスに2度も出会って、急にご先祖のことが気になった。それを聞いた
息子さんがインターネットを検索してくれて、私の書いた「狭川帖」に出会ったのだという。

折しも私は、いま狭川の歴史マップを自治会のお手伝いで制作しているところ。狭川城跡、
狭川家代々の墓所、馬場跡なども写真と簡単な解説で載せる予定。もちろん刷り上がれば
狭川さんにもお送りしたい。大阪の狭川家との関連は知るよしもないが、遠方のゆかりの
方とのご縁がつながったのは「わたしのマチオモイ帖」に参加した「狭川帖」とインターネット
のお蔭だ。その「わたしのマチオモイ帖」が今年のグッドデザイン賞を受賞したとも聞いた。

篆刻は、三游会に出品予定の「縁」。縁はずいぶん彫ったけれど、生きていくことは次々
に縁を結ぶことだから、新しい「縁」をカタチにしたくなる。さァ、どんな縁が生まれるか。

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