金印「親魏倭王」の謎。(印影:親魏倭王)

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張莉さんは金印「漢委奴国王」の真贋を論じてはいないが、『魏志』倭人伝によれば
卑弥呼も金印紫綬を受けている。それに刻まれた文字は「親魏倭王」と推測されるが、
金印そのものは、いまだ未発見のまま。だが「親魏倭王」の印影は存在する。それも
東京の国立博物館にある。印影のある印譜は『宣和集古印史』。北宋の徽宗が古印を
集め『宣和印譜』を作ったという。明の万暦時代、来行学という人物が山中の古墳墓の
中から徽宗の印譜らしきものを得たと称して刊行したのが、この印譜。江戸時代に
日本に舶来し、横田実という古印収集家が愛蔵していたが、遺族が国博に寄贈した。

その『宣和集古印史』では、朱も鮮やかな印影の下に「親魏倭王 銅印獣紐」とある。
金印であるはずのものが銅印とはなんだろう。恐らくはこの印影は、金印の実物で
押したものではなく「金印を想像により模作したものであると正直に告知」していると
考えるのが自然だ。そもそも『宣和集古印史』自体、限りなく偽書に近いものだから。

邪馬台国近畿説を証明するべく纏向遺跡の発掘が続いている。持ち運びできる金印
が発見されても卑弥呼がいた場所とは限らない。それで魏からの荷をほどいた場所の
証明として封泥(封款に用いる粘土)を探しているとも聞いた。張莉論文を読めば
近畿に卑弥呼はいなかったし、金印も封泥も出土しないと思わざるをえないのだが。

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