2:使えるものは、何でも使う。

2014722114748.jpg 「空(40×40ミリ)」

これまで「空(くう)=穴+工」は何回も彫ったけれど、ウ冠の下の八がパンダの目のようになる。パンダだと思うとその下の「工」まで口に見えてくる。やっとパンダじゃないかなと思えたのが、これ。上の点を取って、ワ冠にしてしまったが、この円はコンパスで書いている。それを鉛筆で適度な太さにして、細いサインペンで清書する。この段階で、機械的、無機質なコンパスの線は、もう消えていると思うのだが、どうだろう。

この清書したものをトナー式のコピー機でコピーする。トナーの面を印面に当てて、裏から除光液で湿らせると、カーボンが印面に移って、きれいに転写できる。偶然性の雅味を尊ぶ篆刻の先生はこの方法を嫌うけれど、石の性質や彫る人のその日の調子があるから、印面のカーボンの線を100%そのままに彫ることなどとても不可能。偶然性に意固地にならなくても、偶然性は嫌でも向こうからやってきます。

それでも多くの篆刻教室が厚紙に朱墨と墨で原稿を書き、印面にも朱と墨で逆に手書きで写すことを教えているようです。なぜそんなことに手間暇をかけるのか理解できない。多少の経験があれば、白い紙に黒い線だけで、どこが朱か白かは分かるはず。デパートで実演している中国・西冷印社の人だって、印面に直接筆で逆文字を書き込む。日本では朱墨を使うと話しても理解不能、キョトンとするばかり。

私はもちろん彫るのは印刀だが、小さな石の塊りが邪魔すれば迷わずガラスの彫刻などに使うルーターで削り取る。機械は臨機応変、必要に応じて使うべきです。機械を毛嫌いするなら、機械で切って磨いた印材も使えないはず、原石を買って金ノコで引かなくっちゃ。コンパスの話に戻れば、篆刻の先生の多くは、もっての外とおっしゃるでしょうね。でも、葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」で、北斎先生は明らかにコンパスをお使いです。

 

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