小塚さんのつくった、書体。(画像:小塚明朝)

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私が大卒でコピーライターになった時、広告原稿の文字は写真植字(写植)になった
直後だったようだ。写植は活字印刷に代わって、印画紙に文字を焼きつける画期的
な新技術だったが、新聞印刷の世界でも活字から写植に切り替わる転換期だった
らしい。1949年毎日新聞社に入り、55年から書体制作室のチーフデザイナーとして
約15万字を制作したのが小塚昌彦氏。毎日在籍中から写植機メーカーと新書体の
開発に貢献するが、定年後はモリサワで「新ゴ」を開発、IllustratorやPhotoshopの
アドビで日本語タイポグラフィディレクターとして「小塚明朝、小塚ゴシック」を制作した。

金属活字の母型鋳造からスタートして最先端のグラフィック・ソフトにいたる足跡を記録
した『ぼくのつくった書体の話』(グラフィック社)は、篆刻という文字を扱う私にとっても、
数々の示唆や教訓に富んでいるが、日本語書体の研究家・デザイナーの先駆者である
故・佐藤敬之輔氏の逸話がある。「ひらがなのフォルムで悩み、イギリスに渡り転機を
探った佐藤氏が、日本に帰り自宅そばのススキの鋭くしなやかな葉を見てやっと書体の
インスピレーションを得た」という話は、コミュニケーションの道具である文字の美しさと
その本質を言い当てている。余談だが、株式欄が多すぎる日経新聞から他に変える
なら毎日新聞かと考えている。内容はともかく書体制作者が尊敬できるからなのだが。

 

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