写経は信仰、ではない。(篆刻:抜苦与楽)

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奈良・薬師寺の入口には「与楽門」と石に刻まれている。1939年から30年間ここの
住職・法相宗管長を務めた高田凝胤(ぎょういん)師の話(※)を読んで、びっくりした。

師は平安から明治以降の近代仏教までをニセモノとして、日本仏教1200年の歴史を
拒絶する。「煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏など人間をバカにした話だ。人間は
アホだから生まれながら自由、平等といえばよろこぶ。しかし事実は違っている。仏は
その違いが真理だという。真理だから貧乏人がつまらんやつとはいえん。それをミソも
クソも一つの考え方をしたのが弘法大師。天才だ、仏教を独創的に転換したとほめるが、
仏教を日本人にあうようにしても、それが人間全体にあうのか。」 さらに「親鸞の仏教は
弱い人間のための教えで人間を軽く見ている。人間の本当の良さを開発しないで、ただ
そのままでよいというのは人間をバカにしている」と手厳しい。では薬師寺金堂建立の
ため写経運動をして浄財を集め、テレビで人生教訓を述べ、仏教書を書く師のお弟子
(高田好胤)はとの問いに「写経運動は信仰ではなく、単なる民衆運動。僧侶は口(ぐ)法
より戒律が大切。その自覚のない坊主がしゃべり、書く。これは堕落です」と断罪する。

カミサンと二人で写経108巻を収め、安田管長から輪袈裟をいただき記念写真まで
撮った私たちではあるけれど・・・薬師寺だけに良薬は口に苦く、耳に痛いものです。

※『仏音 最後の名僧10人が語る「生きる喜び」』 高瀬広居著 朝日新聞社刊

 

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