田んぼで、発電。(篆刻:田)

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ここ奈良市の下狭川には、かつて白砂川(水力)発電所があり、明治41年に明治
天皇が奈良に行幸されたとき県公会堂と周辺に送電した。初めて奈良市に電灯が
灯ったのがこの時だという。川添いの崖下には石垣が残り、その施設跡だと分かる。

そして、いま。狭川のあちらこちらで、また発電が始まっている。そう、太陽光発電
パネルが田んぼの中に散見されるのだ。それも狭川地区でいちばん広く、良い稲が
とれるという地域でのこと。おそらく休耕地、耕作放棄地を農地から別の地目に転用
して発電事業者に転売か貸借してのことだと思う。若く元気な子供がいても通勤や
学校のために奈良市内や隣の木津川市に出てしまうことが多い。車で30分ほど
だろうに年2回の田植・稲刈に手伝いに来るのはどれほどか。実家に戻って農業
を継ぐこともないだろう。機械化で高齢でも作業が出来るとはいえ、機械のローンや
肥料購入費用に比べて米の買取り価格は低迷したままだから、農業を続けることの
負担は大きくなるばかり。田んぼだけでなく、京都府との境の東向きの山では森林の
伐採、整地が進んで、大規模な発電施設の建設が始まっている。この西狭川町でも
県道沿いで100坪ほどの空地にもパネルが敷き詰められた。美しいものではない。

自然エネルギー促進の名のもとに、農地が歯抜けのように減り、景観は乱れていく。

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