一本の草に、ひとつの神。(篆刻:一草一神)

一草一神
「一草一神」は、いっそういっしん。仏さまの次にご登場ねがうのは、神さまです。 縦書きで右に二文字、左に二文字だと「一」が並んでしまう。疎密が片寄る場合は、 時計逆回りでもいいとされている。一本の草にも、ひとつの神が宿っている、という意味。 自然農法の先駆者、福岡正信さんの本にあったと思うのだが。好きな言葉というより、 自然な言葉。山里に住むと、それは当然のことであり、何の疑いもない。 ここまで書いて、えらいところに首を突っ込みかけている、と気づく。いかん。 そう、ここでなぜ草にも神が宿っているかを論証する必要はない。 科学がどんなに進化したといっても、ちっぽけな細胞ひとつ創造してないじゃないか、 というよくある話で充分だ。科学にできないことは、神の仕業に決まっている。 そう信ずればいいのだ。と居直ることで、私は救われる。 ここで肝心なのは、この篆刻が、太古の昔から現代までも、人間が自然に対して 感じ続けてきた、そう畏怖ともいうべき感覚を表現しているか、ではないのか。 「お前ごときが、何をほざいておるんじゃ」 ややっ、春日大社の方から声がした。 「人間、もういっぺんやり直したらどぅや」 こんどは、村の九頭神社の方角からだ。 「・・・か、神さま、えろうすんまへん・・・」
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