そして、風になった。(篆刻:風)

風
遊は、大学には入ったが、3年になる前に「やめて広告をやりたい」と言い出した。 ちょうど企画書やコンテづくりにアシスタントが欲しかったので、手伝わせた。 ゲーム世代だから、マックも何とか自力で覚えた。広告制作会社ハイエスト・ハイを ふたりでスタートさせた。しかし、大事な仕事のデザインは外注せざるを得ない。 企画に参加させても、お前にはまだまだと押さえつけてしまうことが多かった。 遊の給料とオフの時間のほとんどは、バイクとレースに使われた。チームの名は、 「ハイエストハイ・レーシング」。しかし、よく転倒した。年3回の骨折もあった。 普通の会社なら、とっくにクビだ。仕事かバイクかと、問いただすことが何回もあったが、 親子ゆえの甘さ、あいまいさがあった。平成11年12月5日。剣道をしている道場に、 電話がかかってきた。「遊が鈴鹿のレースで事故を起こした」と。 レースをする以上覚悟していたものの、不思議と「死」までは考えなかった。しかし、 病院のロビーでは、バイク仲間が泣きくずれていた。医者の説明がもどかしい。 結論はすでに心肺装置をはずしたという。99年鈴鹿選手権シリーズの最終戦だった。 10時のスタートから6分後、大きなカーブ200Rでの単独事故。27歳9ヵ月の命。 戒名「温好院道風日遊信士」。スズキのSP250に乗ったまま、道の風になった。
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