こんな自分だった、とは。(篆刻:自分)

自分
漢字の成り立ちは面白い。文字自体、中国の皇帝が占いなどでの神との交信を 記録する道具だったから、庶民の暮らしや表情は見えない。が、現代の人や世の中が 忘れてしまった、神や自然への畏敬が生き生きと形になっている。そんなあれこれを、 篆刻と雑文でぼちぼち続けていこうとした、このブログだが、いつしか回顧談に。 現代どころか、埃をかぶっていた自分の発掘作業になった。これが、自分か。 昭和21年生まれ。おそらく広告を職業にするために大学や学部を選んだ最初の世代、 だと思う。オリンピック、万博を目の当たりにして、広告が世相をリードする時代を生きた。 日本人をパン食に変える、という藤田田の言葉を、直接聞いた。コンビニという言葉も まだないローソンの立上げに参加した。得した覚えもないバブルと崩壊、神戸の震災。 そして、リストラ。同じ世代の多くが、早期退職で広告界を去った。指一本で残る、自分。 篆刻は「自分」。「自」は、人の鼻の象形。古代、鼻を叩いて、その鼻血を社(やしろ)に 塗る犠牲の方法があったという。「分」は、刀で物をふたつに分けること。 いつでも自分に正直にと思って、分かれ道のどちらかを選び続けて、ここに至った。 自分では、欲得に流されず、シンプルに歩み続けてきたつもりだが。他の人からは、 「あ、またあいつ角にぶつかった。ほら、鼻血が出てるよ」ってなことかもしれない。
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