消えた大金は、無駄か。(篆刻:無駄)

無駄
私の父は、しがない家具職人ではあったが。しかし、終戦直後はこれが身を助けた。 木を削って、小さな下駄やポックリを作る。鼻緒は母の襦袢をつぶして作る。 これが、進駐軍のGIによろこばれた。母の田舎からは、米や小豆(あずき)が届く。 父の友人には船員が多く、腹巻に砂糖を隠して持ってきてくれる。ぼた餅を作る。 それを駅前に持っていけば、飛ぶように売れた。だが、しかし・・・ 私が横浜のはずれの鶴見から、市内に出た初めての記憶は、母に手を引かれて 父を訪ねたこと。行き先は警察の留置場。闇ドルを持っていることを密告された。 仲間に妬まれるほどに、お金を持っていたのだろう。家の仏壇は小さかったけれど、 それでも、その引き出しに現金があふれんばかりに入っていた記憶は鮮烈だ。 だが、しかし、我が家がその頃、裕福だった記憶は、まったくない。なぜなら・・・ 父は毎朝、鞄にお金を入れて出かける。行き先は、花月園という競輪場。 夕方には、決まって空の鞄をさげて帰ってくる。そんな日がいつまでも続く訳がない。 「あのお金で土地を買っていたら」というのが、母のグチの決まり文句だったが。 本当に、あのお金で土地を買っていたら、私たち家族は、幸せになれただろうか。 本当に、あの大金は無駄だったのだろうか。篆刻は「無駄」。答えは、ノー。
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